俺はどうすれば記号化を避けられる!? 坂爪真吾『男子の貞操――僕らの性は僕らが語る』
一気に読んだ。大変興味深い
最も印象残ったのは男性(異性愛男性を指す
は記号として女性を消費し、その人格を無視している、という点
記号
私の個人的興味はほぼここに集中している。
私の興味はただ一点、人間を記号化してしまわないためには
一体どうすればいいのか?
人格と記号をわけて考えるにはどうすればいいのか!
それだけだ。そのための処方箋が7つ
坂爪真吾は記している。いちいち挙げはしない。
面倒だしぐぐってアマゾンで目次でもみて
さて、その中でいくつか私の段階で実践できそうなものがあった
まず「性を金で買うな」ということと
「社会的ネットワークに貢献しろ」ということである
性を買うな、あるいは消費するなというのはわかる
あのエンターテイメントに特化された性的コンテンツは
まさに記号のオンパレードである
社会的ネットワークに貢献しろってのも納得いく
単純に異性と出会う機会を増やすのと、
自らの……慣れ(記号化を避けるため言葉は選んだ)にもなる
記号にとらわれるな、とも。モテ/非モテとかいう、これも記号である、と
全体を通してみると、かなり目を開かされた本だった。
そして再認識した。「モテ」という言葉、認識は間違っていると
けど記号化を避ける具体的手法は読者に残された課題と思う
たぶん社会的ネットワークに所属していれば治る可能性はあるだろうが、
二村ヒトシの本(『すべてはモテるためである』)では
バカを治すのは大変ぽい
まあそうだよね。俺みたいに撤退、退却した例もあるし
傷ついて、慣れるしかないということであるのかな
まあそんな簡単にできることが書いているわけないよねー
「個人の尊重」とかは、いま自分の中ですごく大きなテーマなんだけど
簡単に答えが出たり簡単にできたりはしないんだよねやっぱり
けど、わかってるんだよ、個人を大事にするってことはわかる
相手を問わず人格を大切にしたい
日々、何に気をつければそれを実行できるか
それについて日々問い続けていきたい
続きは 後でバイステックの本(『ケースワークの原則』)とともに書く予定
この問いは続く